昭和五十七年八月五日 朝の御理解
御理解第八十節 「年寄りを大切にせよ。人間は自分の考えで先に生まれてきたのではない。みな、神のおかげで生まれてきたので、早く生まれた者ほど世のために働きをたくさんしておる道理であるから、年寄りを敬うのぞ。若い者でも役に立つ人はなんとなく人が敬うとうになるが、不都合、不行き届きが重なれば、敬うてくれぬようになる。信心する者は、よう心がけておるがよい。」
今の教主様のお言葉の中に「生活の現場」と言う言葉をお使いになりますね。それぞれ生活の現場という事。生活の現場で、なら、どういう事かと言うと、生活の現場で、教えを行じ表せと、言う事だと思うんです、ね。昨日は、神愛会でございましたが、毎月見えられる先生方の人数は、いつも決まっておりますけども、やっぱり遠方から見えられる先生方のお話しを聞かせてもらって、いよいよ何と言うですか、も、合楽理念を土台にして、ま、堂々たる、言うならば、御信心というか、お取り次ぎのいわゆるお取り次ぎの現場でのお話しを聞かせてもらうのですけれども。私はいつも、熱心な御信者さん方も参加されておられますけども、そういう方の話を聞いた事がありません。あの神愛会の時だけは、もう、ここで修行しとる先生方の話しでも聞きません。もう、ここで修行しとる先生方の話しでも聞きません。もう、全然問題にならないです。いわゆる生活の現場、または、お取り次ぎの現場で、もう、本当に、もう、それこそ身も心も人が助かる事さえ出来ればと言う事に打ち込んでおられる方の話しと言うのは、も、話が上手とか下手とかじゃないです。も、本当に一つの何と言うでしょうかね。も、重量感を申しますかね、ね。
これは、あの熱心な支部長さん方も見えられますけどね。私は、も、他の例えば、合楽で稽古をしとります修行生の先生方が、いろいろ大変やっぱ、詳しいです。合楽の信心が、けれども、も、全然ちがうですね。も、これは、もう、驚きです。私は昨日、とりわけそれを感じた。も、とにかく私共一人一人がね、合楽理念に基づく生活の現場でが信心が出来取とらなきゃ値打ちはないです。いくら、合楽理念をマスターしたところでね。例えば、家庭なら家庭の中で、炊事なら炊事さして頂きながら、も、そこがあなたの生活の現場です。会社に勤めてる人は、会社のその、そこでの現場での働きがです。ま、言うならば、人が助かる事さえ出来れば、と言う事に、ま、既決しますでしょうかね。自分が助からならんのだけども、結局、自分の周辺の人達が助かる。働らくという事は、はたが楽になる事だと言うた人がありますがね。生活の現場出、ね。本当に、この野菜一本が、ね。これがこれを買うて食して下さる人達の上に、本当に助かりにつながるか、喜びにつながるかという頂き方です。お商売をさせて頂いてもです。算盤ひとつ持たして頂くでもです、ね。本当に。この生き方でお客さんが喜んで下さるか、なら、お客さんが喜んで下さる事の為には、その合楽理念は、どう説いてあるか。教えてあるか。そりゃ取り次ぎの御用でもなさる方は、皆やっぱり人が助かる事の為に、一生懸命の言うなら、血の出るような御修行をなさいます。ところがね、それがあの、見当まちがいますと、いくら一生懸命頑張っても助からん、ね。それを昨日、先生方の場合は、も、合楽理念に基づいて、人が助かる事さえ出来れば、という修行に打ち込んでおられるのですから、助かりも絶対なもの。も、みんな、いうなら例えば、末永先生のお話しを頂いとって、昨日、も。とにかく朝昼晩の御祈念のお参りが多くなったとか、津屋崎教会の先生が発表しとりましたが、ね。こんどまる少が五十名増えたとか、もう、も何と言うでしょうかねえ。以前の津屋崎教会と言うのは、も、本当に、まあ、言うなら、みすぼらしい教会でした。それが、まる少が五十人、そりゃ例え、まる少であってもね、賑わっておる。生き生きとしておる。夫婦の者が、いわゆる御理念に基づく、いうなら布教の現場で一生懸命であるという事を。もう、先生方の一人一人の話がね。も、いうならば教主様がおっしゃる。生活の現場をいかに大切にしておられるか。ですからね、どんなに詳しいとか、良い話しとかという話でもね。も、側に寄りつかれないです。はい。もう、お取り次ぎの現場での働き、その現場でのお話しですから、しかも合楽理念に基づいて、ね。
最近、お手紙でも頂いとりましたが、滝口先生、宮崎のね、日向教会。もう本当に、その人が助かっていくんです。あちらも、ま、どっちかというと人の助からん教会でしたのが、このごろおかげを頂いて、人が助かる、ね。もう、どの先生の一人一人のお話しを頂いてもそうでした、ね。それこそ、石動教会のいわゆる陸の奥で、やっぱり合楽で御縁を頂いておられる一つの教会ですけれども、それこそ、ま、東北地方にね、合楽理念が一粒万倍に広まっていく事を、私は願っておりますし、本人、先生もそれを願っておられるのに違いないですが、ね。その言うなら、お取り次ぎの、いや助かりの現場というものが、ね。御信者の上に、もう、とにかく驚きをもって教えを頂いておられるという話しを聞きました。ね。合楽の話しを、段々頂くようになって、もうそれこそ「天地日月の心になる事肝要だ」とは教えてくえても、その天地日月の心が、どういう信心をさしてもろうたら、天の心、地の心という事がわかるのか、また、それが血肉になっていくのかという手だてをね。もう、驚きをもってそれを行じておられる。先生が毎日、合楽教会のお日届けをなさる事を聞いて、私も、及ばずながらおかげを頂きたいといったような信者が、表れて来たという話しをなさっとれました。も、とにかくね。言うなら、皆さん、これは皆さんの一人一人の上にも、皆さんの生活の現場でですね。生き生きとした働きが、現れなければ、言うなら値打はないですね。これは、今、合楽で修行しよる先生方の場合なんかは、いよいよその取り次ぎの場に出たときの為の稽古ですけれども、ね。自分自身が教会長としていよいよ、ね。その、人の助かりの為に、御用さしてもらう時のつもりで、御用すれば、もっと素晴らしいでしょうけれども、なかなかやっぱ出来ません。やっぱ、そこの生活の現場に入らないと出来ません。そりゃね、もう、先生方のお話しを聞いとって、誰々がお話しをが上手だから、体験ももっちゃるからと、いったような話しでは、ね。も、全然、側に寄り付かれないです。そういう話しは、普通なら普通の共励会で信者さん方が、発表される話しやらとはと、全然、その、ま、おもむきが違うのですけれども、力が違うです、ね。私は、今日、なら、御理解とは全然違ったような事を聞いて頂きよるようですけれども。なら、年寄りを大切にせよ、と。も、早くそれだけ世間の役にもたってるのだから、信心する者は、よう心掛けねばならんと、言われて大切にするような事では絶対、通じんです。年寄りには、ね。そりゃ自分の家庭、生活の現場でです。自分自身が、先だっての、ね。東さんの奥さんじゃないけれども。一と月間の修行の中にわかった事はです、ね。もう、そう霊様も、または、姑親ですね。親達をです。も、大切にせねばおられない心が生まれてきたと、言う事なんです。ですから、あの話を、昨日、月次祭の時に私が話しました話しを、昨日、聞いてまた、改めてです、ね。いわゆるその力を感じました。あゝ金光様の信心すりゃ、年寄りを大切にすると言う事が心掛けで、心にかけとかにゃならんから、大切にするといったようなものじゃね。例えば、合楽の修行生のお話しのような話しになるんです。こうせねばならんという事を、知っておるだけ。ところが実際、お取り次ぎの現場で、しかも合楽理念に基づいて、その働きを起こしておられる先生方の場合なんかね。それをいうなら、自分の身も心も、ね。事は、も、うち忘れて人が助かる事さえ出来れば、に、打ち込んでおられるのですから、もう迫力が違う、ね、のようにです。なら合楽で合楽理念に基づいて、それぞれ生活の現場でそれを表しておる人の話は、力が違うです、ね。年寄りを、ね。これは、も、だから年寄りを、と、言うだけじゃないでしょう。も、とにかく人を大切にせずにおられない。この前、その東さんのお話しですけども、ある三十日間の中にそのお花屋さんの前を通る。それで霊様へのお花のお供えをさして頂きたいと思うて、寄らせて頂いたら奥さんも、今日は朝から、も、一本もお花が売れん、ち。もう今日、あなたから買うたらお負けして下さったという事なんです。あくる日、そこの前を通らしてもらいよったら、ちょっと奥さん、ちょっと奥さんと呼び止められるげなら、何ですかち、言うたら、もう、昨日、あなたが買うて頂いた、もうあれを境に、もう今まで以上にお花が売れましたら、どういう事でしょうかち、言うて、あ、も、不思議で不思議でたまりませんでしたち、言うたち。いやそれは、実は私は、毎日、今、合楽というところにお参りさせてもらって帰りでしたが、ね。やっぱ私のささやかな祈り、もう、あなたが、もう、今日はいっちょん売れんと言われたから、どうぞ、あの、お商売が繁昌するように祈らせて頂いたから、でもなかろうけれどもじゃない。いや、もう絶対そうですばいち、言うて喜ばれたという事です、ね。もう今日は、商いがいっちょん、なら、お花が一本も売れんと、困られてた時に頼まれたわけでもないけれども、それを祈らずにおれない心なんですよ。信心とは、ね。年寄りを大切にせずにおれない心なんですよ。せんならんというのじゃないです、ね。例えば、取り次ぎの現場で、なら、お取り次ぎなさっとる先生がですね、ね。もう、自分の事やらをうち忘れてるほどしにです、人が助かる事さえ出来ればと、いう事にあの、しかも合楽理念の情念をもってお取り次ぎをなさっておられる。その体験談ですから、もう普通の信者の話とか、ただ教会で修行しとる先生方の話とは、もう全然、その、も、ちきりにかけるなら重さが違う訳です、ね。も、一人一人の先生に昨日は、実感しました、ね。今日は「年寄りを大切にせよ」んなら、いっちょせじゃごてというもんじゃなくてね、そう、それをさせ、せずにおられない心の状態が開けてくるようなおかげを、お互いのいうなら、それぞれ生活の現場でそれを現せれる、一つおかげを頂きたいと思うですね。 どうぞ